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「文法の重要性」不具合修正版

きゅんぱちの教育談義です。

日本の英語教育はあまり進歩がないのでは、という危惧から派生したと思しき御質問のようです。
ANo.6にて回答させていただいております。
ちょいと原理原則論を振りかざし過ぎたかなあ、と自省の念しきりの回答例です。
それでは、御質問者様の疑問にお答えしていくことに致しましょう。



御質問(QNo.3510936)

「文法の重要性」

質問者:myrtille55さん
似たような質問は何度もされていますが、私なりに論点を改めて質問させて頂きます。
日本人が英語を覚えるのに、文法は避けて通れませんよね。
そして、ヨーロッパ人が英語を覚えるのと違い、日本人の場合は日本語と英語が違い過ぎる故に、文法からアクセスすることが特に不可欠という意見も聞いたことがあります。
確かにこれも頷けるんですが、日本人が英語を学習するにはどうあがいてもヨーロッパ人よりは多くの労力を要します。
ここで疑問に思ったんですが、逆から考えれば、文法からアクセスする方法は日本人だからこそ、ヨーロッパ人よりも余計にハンディキャップも際立つと思うんです。
日本人の外国語学習は漢文から始まり、江戸時代に蘭学が盛んになりましたが、もともと漢文の素養のある人がオランダ語を始めた人が多かったはずなので、外国語を分析し複雑に返り読みして訳すことには慣れていたでしょうから、当時の人にとって、現代人が英語を学ぶような学習環境とは雲泥の差があったものの、それでも、最初に学ぶ西洋の言語としてのハードルは低かったと思います。
そして、時代は下り、オランダ語から英語にシフトしましたが、外国語の学ぶ方はあまり変わらなかったですよね。
そこで皆さんにお伺いしたいのですが、日本人にとって最初の外国語である英語はあまり理屈で教えない方が効率的なのではないでしょうか?

(質問者:myrtille55さん)

この御質問に対する私の回答を以下に記します。

回答 ANo.6
回答者:hankyu8200

時計をバラバラにして「これが長針、これが短針、これが文字盤」と教えるのはいいが「じゃあ今何時?」と問われると答えられない、これが日本の英語教育の実態なのだ、と。
言語学としての体系的な「理屈」は必要であるが、外国語学習にあたって全ての人が言語学を学ばなければいけないわけではないという視点から

「理屈」で教えても
意思疎通の手段である
「言語を習得する」目標へ
到達できる保証はない

といったところでしょうか。
その意味でmyrtille55さん(質問者様)のおっしゃることはもっともなことだと思いますね。
「目的」と「手段」を入れ替えてしまう、いつしか「手段」が「目的」になってしまうから失敗するのだ、と。
学問として何か解説するための「手段」としての「理屈」は必要だが、では我々日本人が日本語を学ぶにあたって、生まれて言葉を習い始めたときから「未然・連用・終止・連体・仮定・命令」という文法用語を使って覚えられたか、を振り返るとなりますと「読む」「書く」「話す」「聞く」という言語の4つの運用能力からみましても、あり得ないわけです。
文法用語を活用するとなると、

言語の自然発生に逆らう教育方法

であるといえます。
myrtille55さんが今回のこの御質問をされる時に「次ぎにくる単語は未然形だから〜」なんていちいち考えながら質問の文章を書き上げたわけではないですよね?
すなわち、人間生まれてから10ヶ月もの間、親御さんがしゃべってくれることを耳から聴いて、それをマネしていく。しかもそのマネというのも完璧に親御さんのしゃべるマネができずに「幼児語」というおかしな言葉を使う、これを恥ずかしがりもせずに使っていって、7年後にやっと「読み」「書き」の教育を受けるという段取りを歩むワケです。
ところが日本人が英語を学ぶのにいきなり中学から「読み」「書き」が始まる、しかも英語を母国語とする人を見ると通じる自信がないせいか、逃げて歩くような(笑)英語教師から教わるワケですから、受講者側ができなくなるに決まってますよ。
英語の4つの運用能力をまともな発音と共に、日本語を母国語とする文化圏と英語を母国語とする文化圏の

文化の違いを
受講者側の知的レベルに
合わせた実例でもって
解説できる

だけのノウハウが必要でしょう。
どんな世界でも「自然」に逆らうと必ずしっぺ返しをクラって失敗するというものです。
結果、残念ながら「英語嫌い」ひいては日本人特有の「英語コンプレックス」形成の大きな原因になっていることは否定できないといったところでありましょう。

御質問の文面を精読しますと、まず整理すべきは、「文法」には「実用文法」と「理論文法」とに分けられる、という視点。
すなわち、「実用文法」は言葉の並べ方。
もう一つの「理論文法」というのは、その理論文法用語の語源がどういう成り立ちなのかすら英語教師がまともに教えられないことから、聞いて飽きてくる(笑)だけの専門用語を振りかざすがごとく成り立っている、学問としての「文法(論)」になるかと思います。

東アジアでは中国語を母国語とする文化圏の人々が比較的英語習得のスピードが早いといわれるのは、理論文法の教育術が確立していたわけではなく、英語と中国語で言葉の並べかたや順序が似ていることが多かったために、ハードルが低かった、すなわち、単語の意味さえわかれば直読直解の同時通訳で解釈・作文・会話・ヒヤリングができただけに過ぎないというのは「金ピカ先生」の講演会で聴いたことがあります。

これに対して日本語との比較はどうかというと、まったく違うわけですね。
この並べ方の違いを実感で習得することが最初のステップとなるところでしょう。
そこで、5文型なるものを持ち出す英語教師の方々がいまだにいますが、5文型の効用はこれを説明するための例文に使われているような短文にしか適用できない(笑)のが致命的な欠陥。
実際の長文は、この短文にさらに説明を加えるために、後ろへカンマやandや関係詞などでくっつけた飾り文句をつなげた文であることが多く、したがって5文型論から外れてくるために役に立たないといっても過言ではないワケです。
パラグラフ単位でも最初のセンテンスは抽象的なことが書かれていても、その後のセンテンスから具体的かつ平易な内容が書かれるという決まりを知っていれば、
「下線部の内容とはどういうことか、書け」
というタイプの入試問題も、その後を読んでいけば答えは出るから、簡単になるワケですね。
ちなみに長文には大きく2種類あるといわれています。
ワンパラグラフが短文で数十行を構成するものと、たかだか十数行のパラグラフだと思ってよく見たらば、それがワンセンテンスというものとがある、と。
この場合、後者の方が解釈するのにやっかいだと感じる学習者が多いのですが、英語は名詞中心、やまとことばは動詞中心の言葉の並べ方だということを知っていれば、5文型論に当てはまらないと嘆くことなく、また、意味の分からない文法用語を知らなくても、解釈できる力は高まってくるものです。
逆にこの言葉の並べ方の違いをしっかり教示せずに、例えば英文解釈で関係詞がくると後ろから前へもどって「〜するところにおいて」「〜するところのものは」なんていうおかしな訳を付けてしまう教え方をいまだにする教師がいるといいます。教師である以上、まともな、こなれた日本語の解釈ができなければ、意味がないというものですわな。

もう一つ言葉の並べ方では「急所」であるにもかかわらず、意味のない教え方でお茶を濁されやすいのがNo.4の回答者様も御指摘の「仮定法」ですね。
「直接法」と「仮定法」の例文を一緒くたに覚えさせて終わることが多いそうなのですが(少なくとも私はそう習いました)、これでは中途であって、これに Ifの省略・倒置なんてのが加わると、文章としては非常に難解になってくるだろうと思いますが、どんな時に使うものなのかを教えておくと、例文暗記より本質的な理解が早くなるものです。
すなわちていねいな表現や細やかな感情をこめたいとき、そしてその感情の中にあって良い感情と悪い感情との区別をこめたい時に使われる用法なのだ、と。
あともう一点は、これは特にアメリカ人の国民性が反映しているのか「自分の発言に対して責任逃れをする」ときに使われることですね。
この辺の微妙な文意の汲み取り方は、いわゆる「機微」のわかる年齢にならないといくら教えても理解できかねる、といったところでしょうね。

以上のような理由で冒頭のことがいえるのであります。

拙い文章で大変恐縮ですが、御参考になるでしょうか。



この回答についての御質問者の返礼は、こちら↓

「文法の重要性」




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