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「教師としてふさわしいかどうか」補足修正版

公教育に係る教育不信を懸念する談義な御質問。
よほどイヤな思いをされたのでしょうか?
内部告発のような威勢です。
当方の回答も、その気迫に押されて(苦笑)論旨がそれてしまっています(><)
それでは御質問を見ていくことにいたしましょう。



御質問(QNo.2750365)

 

「教師としてふさわしいかどうか」

質問者:ayakyokyoさん
私の周りには浮気や不倫、二股、女に暴力を振るう、お金を貢がせる、教育実習で教えた子と付き合う等、犯罪ではないにしろ人間的に倫理的にどうかと思われる人が、教師(特に公立)をしていたり、また教師を目指していたりします。
そして、このような人に限って、ちゃんと教師になっていたりします。
このようなことをする人(過去にしていた人)が人に教育を施せるとはとうてい思えません。
特に、小学校では何が良くて何がいけないのかを教える場でもあると思うので、このような人が指導するのが許せません。
現在の教師になるシステムを知らないままお話しているのですが、採用試験の際、何を以ってふさわしいかどうか判断するのでしょうか?
過去の経歴(犯罪にはならないが、上記のようなことをしていたかどうか)については調べない(調べられない?)のでしょうか?
例えば、過去にはこのようなことをしたけれど今は改心しました、と言ったとしても、人の考えはそう簡単には変わらないと思っています。
それとも、上記のことをしたかどうか(しているかどうか)と、教師としてふさわしいかどうかは別の問題でしょうか? 

みなさんはどう思われますか?

(質問者:ayakyokyoさん)
この御質問に対する私の回答を以下に記します。

回答 ANo.10
回答者:hankyu8200

なるほど教師の適性から見た、そしてまた教育不信の根深さが色濃く表れた御質問ですね。
教育現場の現状がおおやけに報じられると「公教育」に我が子を委ねるのも不安になるという気持ち、よくわかります。
残念ながら今のところ、教師個人の倫理的なトレーサビリティについては、その教師の教養レベルに表れたり、実際に問題を起こしたりしない限りは、構造的な壁(組織など)があって難しいと思います。
現行の教員採用試験というのは、とくに公立学校ですと、いわゆる大学入試などと同じような種類の試験で構成されているといわれています。
ということは、大学入試ですら人間性を測定するのが難しいと言われているわけですから、同様な試験でまともな人間性を備えた人物を教員として採用できているかどうかは、非常に怪しいと言われても不思議ではないというところです。
かつては、教員養成大学から直接教職に就く人が圧倒的でしたので、社会の実態を知らないゆえ、いわゆる「世間知らず」な意味での乱暴な教諭が問題視されていたぐらいですから。
今は、御質問の文面にありますような採用基準が規制緩和されたがごとくの状況ですから、もっと愚劣なレベルの問題を抱えているであろうことは否定できないでしょう。

なお、この手の話題は子供の視点、親御さんの視点、先生方の視点を、しっかりと見据えないとなると、簡単に論点の軸足がずれてしまい、異なる立場の人同士が責任転嫁し合うという、みっともない展開になりがちになるので、自戒の念を込めて、気をつけたいものですね。

原則としてしつけを含めた教育の最終的な本質とは、個々の子供が持つ能力を最大限に引き出して社会に出て実力を発揮できて、言葉は悪いですが、メシを食っていける人間に仕立てることです。
この目的を達成する橋渡し役を務めるのは、親御さんでもあり、学校の先生方でもあって、当の子供本人でもあります。
やる気力のある子供の視点からは、どちらでもかまわないわけし、一致協力してくれてもいいわけです。
逆に気力のない子供は残念ながら、何をどうやっても、誰がやってあげても成果があがらないということも、ありうるでしょう。
それでも社会に貢献できる人間に仕立てる能力のある「大人」がどれだけいるか、という視点で適格不適格を認定していくことをオススメします。
となると、親御さんの中にも、学校の先生方の中にも、一定の割合で適格不適格が出てくるものと思われます。
あえて誤解を恐れずに申せば、高等学校以上の子供の中にも適格不適格があります。
このとき注目すべきは、割合の問題ではなく、適格不適格という、質の問題です。
これは、能力がないと決めつけるわけではありません。
子供が持つ能力の種類が、学校側が要求するものと違うにもかかわらず、親御さんの視点での世間体を最優先にした結果、不本意に学校へ通わされ経験のある子供という存在もありますからね。
こうなってくると本当はピアノの楽器演奏を極めたいのに、ボクシンググローブをはめさせられて、やる気がないのにボクシングリングに上げられて、目を覚ませと言わんばかりに水をぶっかけられるようなものです。
こんな事をやられたら、生きるのにシラケてしまうのは自明の理です。

その一方で、ayakyokyoさんの仰るように犯罪を犯す教師は確かに論外ですしその教師本人の弁解の余地もないですが、今般物議を醸している給食費を払わない親というのも受益者負担の原則からして、多分に問題有りでしょう。
給食費を払わない自由があるというのなら、弁当を持参するぐらいの論理の一貫性を持てといいたいですね。
この点からNo.1さんの仰ることはよくわかります。

おっと、だいぶ話が逸れてしまいましてのでこれぐらいにしておきます。
教員採用試験の基準の詳細は検索サイトで「教員採用試験」「採用基準」で検索していただくことにして、今後問題を起こすであろう教師を未然に割り出してはじくというのは、No.6さんの仰るようにシステム上、無理と推測されます。
No.7さんの仰るように教員免許更新システムが安定して軌道に乗ることが出発点となりますが、それでも悪玉と評される教師は残ってしまうであろうと推測されます。
ではどうするか。
これはもう、そんな悪玉教師であっても、問題が発露する前に、親御さんや子供たちが手玉に乗せてムードを盛り上げるなどしてしのいでいくのがベターですね。
私が各方面の方々からいわゆる「教育武勇伝」なる逸話を聞いた限りでも、このようなムードメイキングで、代々の卒業生などから役立たずと評された教師を相手に乗り切った話はいくらでもあります。
その一方で、中には挙動不審とおぼしき担任教師を保護者側が結束して罷免させたなんて話も現実としてあります。

ayakyokyoさんが憂慮されるレベルの教師に、まともな教師として職務を全うしてもらうだけの、ムードメイキングノウハウが向上することを願ってやみません。



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▲江戸川を渡る武蔵野線205系


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