「自分の考えを紙に書く習慣、持っていますか?」
頭の中での知的なスループットを向上するための基本とは?
単なる覚え書きや記憶力の補助としてのみならない、奥深いメリットを展開したつもりなんですけどね。
それでは早速質問を見ていくことにいたしましょう。
御質問(QNo.3552710)
これに対する私の回答を以下に記します。
単なる覚え書きや記憶力の補助としてのみならない、奥深いメリットを展開したつもりなんですけどね。
それでは早速質問を見ていくことにいたしましょう。
御質問(QNo.3552710)
「自分の考えを紙に書く習慣、
持っていますか?」
持っていますか?」
質問者:muzukasiさん
自己啓発書や心理学の本などで、「自分の考え(やりたいことや目標も含む)を紙に書くようにすると良い」と書かれているのをよく見かけます。
私もメモ帳を持ち歩いて気付いたことを書いていて、考えが分かりやすくなって良いなと思っています。
ですが、書くのが面倒になったり、頭で考えた方が早いんじゃないかと思ったり、こういうことをしているのは自分だけで、他人から見ると変なんじゃないかとも思ったりします。
そこで、考えを書く習慣を持っている人は他にもいるのだろうか、と思いアンケート的な質問をさせていただきました。
そんな習慣は無い、むしろ無駄、という意見も歓迎です。ご意見をお寄せ下さい。
(質問者:muzukasiさん)
これに対する私の回答を以下に記します。
回答 ANo.8
回答者:hankyu8200
的確な情報リテラシーをもつために、あるいは外から情報を仕入れて頭で処理してまた外に発信するというスループットを向上するためには、至極まともな習慣だと思います。
すなわち
「自分の考え(やりたいことや目標も含む)」
をまとめたり、具体化したり、視点を変えてみたり、と
ための有効な手段の一つであるということです。
言語の運用能力という視点ではもう一つ、
というのがあります。
いいかえますと、ひとりでもいいですし(ひとりごと)、誰か話を聞いてくれる人を見つけてもいいです(話し合い)し、声に出してみて相手の反応を見る、ということですな。
会議やなんかでのプレゼンテーションの練習は、たいがいこのような手段を使うことと思います。
特に、何か主張したい、という目的があるときは、
と、これに加えまして
をハッキリさせるために、必要不可欠な段取りといえます。
これをやらないがゆえに、あるいはこのような習慣が確立されていないためにトンチンカンな表現になってしまうことは、よくあることです(自戒・笑)。
したがって、面倒になる、と。
こういうときは無理してアウトプットせずに、逆にインプットに徹するのがいいと思います。
言語の運用能力でいうと「話す」「書く」ことが面倒になれば、「読む」「きく」ことで見識を深める、というところでしょうか。
ちなみに「話す」「書く」ことと違って、「読む」「きく」ことには自分の意志がなくても意思疎通が成立するといわれています。
ラクなんでしょうな。
読書してみたり、対象になる人に質問してみたり、講演会やセミナーに参加してみたり、何か実際にいろいろと見聞きする、いってみれば「取材」というところでしょうか。
頭で考えた方が早いと感じたらば、それは、muzukasiさんの頭の中で一つのプロットが完成されたということの現れです。
つまり、こういう段取りで、いくつものプロットができ上がって組み合わせが利くとなると、思考経路が豊かになり頭で考えた方が早くなる、したがって頭の回転(スループット)が早くなって賢くなる、ということになるわけです。
正常な進化であり、正常な手段である、と。
なので、
むしろそれが個性になる、という見方ができますし。
私の場合ですと、別にライター稼業ではないですけれども、交通機関を利用している最中や誰かと対談・歓談・議論しているときであっても、muzukasiさんの御質問にあるようなことを実際にやっています。
こうしてできたノートを気が向いた時に整理して整頓していくなり、まさに「頭の中で考えられる引き出しができる」ようになったらノートを捨てていくという整頓をするなりしていきます。
そうすると、アウトプットの応用例としては全く異なるシチュエーションで何か問題が起こったときなんかにその「引き出し」からプロットを取り出して活用・解決し人様からよろこばれるとなれば、自信が深まるということに相成ります。
御参考になるでしょうか。
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すなわち
「自分の考え(やりたいことや目標も含む)」
をまとめたり、具体化したり、視点を変えてみたり、と
思考経路を豊かにする
ための有効な手段の一つであるということです。
言語の運用能力という視点ではもう一つ、
声に出してみる
というのがあります。
いいかえますと、ひとりでもいいですし(ひとりごと)、誰か話を聞いてくれる人を見つけてもいいです(話し合い)し、声に出してみて相手の反応を見る、ということですな。
会議やなんかでのプレゼンテーションの練習は、たいがいこのような手段を使うことと思います。
特に、何か主張したい、という目的があるときは、
「主張したいこと(書きたいこと
言いたいこと)」
言いたいこと)」
と、これに加えまして
「主張するための根拠として
表現しなければならないこと
(書かなければならないこと、
言っておかなければならないこと)」
表現しなければならないこと
(書かなければならないこと、
言っておかなければならないこと)」
をハッキリさせるために、必要不可欠な段取りといえます。
これをやらないがゆえに、あるいはこのような習慣が確立されていないためにトンチンカンな表現になってしまうことは、よくあることです(自戒・笑)。
「紙に書く」にせよ「声に出してみる」にせよ、何か頭の中で書くべきことや言うべきことがなければ、書きようや言いようがなくなってくるわけですな。>書くのが面倒になったり、頭で考えた方が早いんじゃないかと思ったり〜
したがって、面倒になる、と。
こういうときは無理してアウトプットせずに、逆にインプットに徹するのがいいと思います。
言語の運用能力でいうと「話す」「書く」ことが面倒になれば、「読む」「きく」ことで見識を深める、というところでしょうか。
ちなみに「話す」「書く」ことと違って、「読む」「きく」ことには自分の意志がなくても意思疎通が成立するといわれています。
ラクなんでしょうな。
読書してみたり、対象になる人に質問してみたり、講演会やセミナーに参加してみたり、何か実際にいろいろと見聞きする、いってみれば「取材」というところでしょうか。
頭で考えた方が早いと感じたらば、それは、muzukasiさんの頭の中で一つのプロットが完成されたということの現れです。
つまり、こういう段取りで、いくつものプロットができ上がって組み合わせが利くとなると、思考経路が豊かになり頭で考えた方が早くなる、したがって頭の回転(スループット)が早くなって賢くなる、ということになるわけです。
正常な進化であり、正常な手段である、と。
なので、
と思う必要は全くない、ということになってくるわけです。>こういうことをしているのは自分だけで、他人から見ると変なんじゃないか
むしろそれが個性になる、という見方ができますし。
私の場合ですと、別にライター稼業ではないですけれども、交通機関を利用している最中や誰かと対談・歓談・議論しているときであっても、muzukasiさんの御質問にあるようなことを実際にやっています。
こうしてできたノートを気が向いた時に整理して整頓していくなり、まさに「頭の中で考えられる引き出しができる」ようになったらノートを捨てていくという整頓をするなりしていきます。
そうすると、アウトプットの応用例としては全く異なるシチュエーションで何か問題が起こったときなんかにその「引き出し」からプロットを取り出して活用・解決し人様からよろこばれるとなれば、自信が深まるということに相成ります。
御参考になるでしょうか。
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