阪急神戸線・震災復旧後の走行試験
またまた阪急電車の映像で、めずらしいものをひろってきました^^。
今回は1995年(平成7年)1月17日の阪神・淡路大震災直後からの阪急電鉄神戸本線・復旧工事完成を受けて、早速試験走行を行っている、大変貴重なシーンです。
これは、鉄道ファン的に貴重であるばかりでなく、災害に遭われた方々にとっても復興への一里塚としての象徴的な映像でもあります。
この試運転を経て阪急神戸線は同年6月12日にほぼ全線が復旧しました。
撮影場所は岡本~御影間。
上下線とも西向きに、西宮北口から三宮方向へ向かって走ってます。
前面展望映像は三宮方面へ向かって左側の車輌から撮っているようでして、時折インサートされている地上からのアングルによると8両編成でしょうか。
並走する右側の編成は6両でしょうな。
きゅんぱちはこの震災発生当時、京都に出張中でしてね、急遽勤務先に休暇をもらい、災害復旧支援のボランティアに参加してました。
なぜかっていいますと、きゅんぱちは中学2年から高校2年の夏休みまで宝塚市に在住していた関係で思い入れが深く、この段階ですでに旧友1人が亡くなったという情報を聞きつけていて、震災発生直後からのこのタイミングですから、メディア報道を見てすぐさま
と思ったからです。
今回御紹介の阪急電鉄を含めた鉄道が全滅、道路も緊急規制が入ったため、移動は徒歩か自転車もしくはバイクがいちばん確実と言われてましたから、行けるところまで行ってあとは自転車で阪急平野を西へ東へと移動したものです。
自分の目で実際に見たこの震災を受けての阪神間の惨状に愕然としましてね。
あの当時のボランティア参加で、災害時の緊急対応について大変勉強させていただきましたが、
宝塚市在住時代の親しくさせていただいていた旧友数名が亡くなり(全員が圧死)、
災害の無常さを痛切に実感したものです。
後年、公私問わず意気投合した方々に限って、阪神・淡路大震災でボランティアで復旧支援に駆けつけたという経験談を語り合うことがあり、関係性に深みがでるという恩恵にあずかることが実に多いです。
ソネ風呂でも hidechan さんや SilverMac さんをはじめ、よくさせていただいております。
これも天国に召された彼ら彼女らが会わせてくれたのかもしれません。
近いうちに彼ら彼女らに会いに、お墓参りしたいと思っております。
なお、掲載映像の著作権に係る素朴な疑問は、こちらを御参考になさってください。
http://c-kom.homeip.net/review/blog/archives/2006/07/youtube_1.html
クリックしていただけると、人口が増えて街が発展するゲームに参加しています。
©みんなでMyMiniCity
今回は1995年(平成7年)1月17日の阪神・淡路大震災直後からの阪急電鉄神戸本線・復旧工事完成を受けて、早速試験走行を行っている、大変貴重なシーンです。
これは、鉄道ファン的に貴重であるばかりでなく、災害に遭われた方々にとっても復興への一里塚としての象徴的な映像でもあります。
この試運転を経て阪急神戸線は同年6月12日にほぼ全線が復旧しました。
撮影場所は岡本~御影間。
上下線とも西向きに、西宮北口から三宮方向へ向かって走ってます。
前面展望映像は三宮方面へ向かって左側の車輌から撮っているようでして、時折インサートされている地上からのアングルによると8両編成でしょうか。
並走する右側の編成は6両でしょうな。
(音量にご注意を・とくに大きく出ます)
きゅんぱちはこの震災発生当時、京都に出張中でしてね、急遽勤務先に休暇をもらい、災害復旧支援のボランティアに参加してました。
なぜかっていいますと、きゅんぱちは中学2年から高校2年の夏休みまで宝塚市に在住していた関係で思い入れが深く、この段階ですでに旧友1人が亡くなったという情報を聞きつけていて、震災発生直後からのこのタイミングですから、メディア報道を見てすぐさま
世話になった関西の方々のために
少しでもお役に立てることができれば
少しでもお役に立てることができれば
と思ったからです。
今回御紹介の阪急電鉄を含めた鉄道が全滅、道路も緊急規制が入ったため、移動は徒歩か自転車もしくはバイクがいちばん確実と言われてましたから、行けるところまで行ってあとは自転車で阪急平野を西へ東へと移動したものです。
自分の目で実際に見たこの震災を受けての阪神間の惨状に愕然としましてね。
あの当時のボランティア参加で、災害時の緊急対応について大変勉強させていただきましたが、
宝塚市在住時代の親しくさせていただいていた旧友数名が亡くなり(全員が圧死)、
災害の無常さを痛切に実感したものです。
後年、公私問わず意気投合した方々に限って、阪神・淡路大震災でボランティアで復旧支援に駆けつけたという経験談を語り合うことがあり、関係性に深みがでるという恩恵にあずかることが実に多いです。
ソネ風呂でも hidechan さんや SilverMac さんをはじめ、よくさせていただいております。
これも天国に召された彼ら彼女らが会わせてくれたのかもしれません。
近いうちに彼ら彼女らに会いに、お墓参りしたいと思っております。
なお、掲載映像の著作権に係る素朴な疑問は、こちらを御参考になさってください。
http://c-kom.homeip.net/review/blog/archives/2006/07/youtube_1.html
クリックしていただけると、人口が増えて街が発展するゲームに参加しています。
©みんなでMyMiniCity
阪神・淡路大震災後、阪急電車の西宮までの開通は可成り早い時期だったと思います。仁川台に住んでいた従姉妹を見舞に西宮から宝宝塚線沿いに歩いたときの惨状は目に焼き付いています。
by SilverMac (2009-02-03 07:14)
こんにちは。
あ、ほんとですね、記事が増えてる。。(笑)
大震災の経験、風化させてはいけない話ですね。。
by いわもっち (2009-02-03 12:46)
ホントですね、記事が増えている♪
震災の経験は、本当に風化させてはいけない
そういうものだと切に思います。
by お茶屋 (2009-02-03 13:18)
幸いにも従姉妹の家は切り土に建っていましたので、殆ど無傷でした。彼女は南海地震も体験していますので、素早く起きて、洗面所に置いていた入れ歯を持ち、台所に隠していた当座のお金を持って避難したそうです。中々出来ることではありません。当時七十歳後半でした。
by SilverMac (2009-02-03 13:54)
きゅうぱちさんのコメントで少し涙が出ました。
私は震災時、JR六甲道(JRが最後まで開通出来なかった激震区)駅前のマンションで被災しました。
何が何か解らず裸足で犬(vivianとvivianの母犬)だけ抱いて外に出ました。
その後、14時過ぎに友達の実家の鶴甲で、おにぎりと味噌汁を頂きました。とてもとても温かくて美味しくて涙ながらに食べました。
大阪の友人とかが自転車で何時間もかけて神戸まで来て私を探してくれました。救援物資も後日に何回も運んでくれました。
きゅううぱちさんを初め、みなさまには本当にお世話になりました。ありがとうございます。
今でも大きな揺れなどを感じると、気分が悪くなったりします。私の様に心の奥に今でも震災の恐怖を持っている人は沢山いると思いますが、みなさんのおっしゃる通りに風化させてはいけない事だと思います。
ながながとすみませんでしたm(__)m
by vivian (2009-02-03 22:04)
私の知り合いの水道屋さんは復旧工事の応援で神戸へ行っていましたが、その時の光景は言葉では言い表せない程に凄かったそうですが,逆に被災者の方から親切にされたりして恐縮したそうです。
by yanasan (2009-02-03 22:48)
神戸線の貴重な映像を拝見し、私も当時を思い起こしました。
世話になった関西の方々のために
少しでもお役に立てることができれば
私もただただこの気持ちだけで、志願して横浜からボランティアで現地入りしました。
大学卒業し社会人になってすぐに大阪へ配属、その後約10年を大阪で過ごしました。 大阪で結婚もしましたので、非力ながらもなんとか役に立ちたい その思いだけでした。
医療機器メーカーに籍を置いていたので、神戸エリアの病院復興で23日から1週間、当時第二陣として入りました。
岡山まで飛行機で飛び、そこから姫路に入り、姫路営業所を拠点に、毎朝暗いうちに営業車で神戸まで通いました。
医療関係車両としての許可証を受けていたのですが、道路事情は最悪で、神戸に入れたのは確か毎朝10時頃になってしまっていたと記憶しています。
毎朝、神戸に近づくにつれ悲惨な状況を目にし、残酷さに胸が苦しくなりました。 大好きだった街 神戸がこんなにむごい痛手を負ってしまった 三ノ宮、元町(神戸営業所は元町駅のすぐ近くにあり、倒壊は免れましたが、所内は至る所に壁にひび割れが入り、危険な状態が続いていました)が地獄絵のようで、本当に怖かったです。
幸いにして、社員には犠牲者はありませんでしたが、若い営業員の何人かは、自分が住んでいるアパートの住民の救出空しく、人が亡くなる現実を目の当たりにし、今で言うPTSDになってしまった者もいました。
自分のブログにも書かせていただいたのですが、私にとっては、「防災の日」は9月1日ではなく、「1月17日」です。
by hidechan (2009-02-03 23:58)
最近とても興味深い記事に良い意味で引き寄せられています!
この映像、阪急の震災復旧のビデオを買ったので知っています。
あ、もう一度見ようと思いました!
風化させないためにも永久的に保存し、たまに見ないといけないなと思っています。
お友達のご冥福をお祈りしますm(_ _)m
by ホタルの館 (2009-02-04 04:07)
電車の並走なんて貴重ですよ。
震災はいまでも忘れられない大災害です。
こうした地道な努力のおかげで見事な復興を遂げたのですね。
by 響 (2009-02-04 10:59)
みなさまのコメントで、また涙が出てきました。
ほんとうに風化させてはいけませんね。
by 夢空 (2009-02-04 11:14)
こんにちは・・・
阪神淡路大震災を体験した者としては、鉄道ファンならずとも、とっても興味を持って見せていただきました!
震災当時・・・ライフラインが全て駄目で、普段ならば車で30分ほどで行けるショッピングセンターへ飲料水をかい出しに出かけ(朝10時頃)家に辿り着いたのが真夜中の2時・・・という嘘のような体験をしました(笑)
水道の復旧が遅れて、毎日銭湯へ通った思い出が今ではいい思い出となりました。
すごい被害がでた、自然災害を風化させないためにも忘れ去ってはいけない古都ですね♪
by あら!みてたのね (2009-02-04 14:55)
こんにちは・・・
niceもコメントも入りません・・・コメントも消ちゃって、忘れてしまいました(笑)
by あら!みてたのね (2009-02-04 14:59)
災害時は自助、公助、共助と、良くいいますが、実際に共助を実践されているのですね。 未だに人事のように考える方が多い中、素晴らしいことですね。そのご経験が結局自分に帰ってくると思います。
by ぽりぽり (2009-02-04 23:12)
そうでしたか・・・。僕の友達も、この線路を歩いて西宮までたどり着き、大阪まで出てきたそうです。僕の妹この近くの大学に通っていたので、卒業式も無くなり、友達も何人も亡くなったそうです。僕の友達は幸いみんな無事だったのですが、やはり影響は大きかったですね。僕自身も友達を救いに向かいましたが、本当に悲惨な状況に心が痛みました。今はある意味震災の陰する無いように見えますが、それは上辺だけで、みんなの心の中の傷は癒えることはないんでしょうね。級友を亡くされたと言うことで、ご冥福をお祈りします。Love&Peace!!
by 井上酒店 (2009-02-04 23:18)
こんにちは。いつもアドバイスありがとうございます。
私自身は長野にいたのですが、勤務先が、神戸の婦人服メーカーの製造子会社だったので、直撃でした。
そんなわけでモノを作っても出荷できないし、本社機能は停止してしまうし・・
あの記憶を風化させてはいけないですよね。。
by Azumino_Kaku (2009-02-04 23:31)
4000nice!
おめでとうございます(^-^)
by tonta (2009-02-05 20:37)
私も、中越地震の際には救援隊として行きました(これでも医者ですからね…笑)。本当に、地震の前には、人なんて無力ですよね。人生観、変わるくらいの経験でしたが、阪神大震災は、もちろんそれ以上のものだと想像します。死者の数ひとつとっても全然違いますものね…
by トモミ (2009-02-05 21:20)
◎◎コメンテータの皆様、いつもお世話になっております。
震災発生日からは日時がずれてしまっての記事にもかかわらず、コメントをいただきまして、ありがとうございます。
☆ SilverMac さま
2回もコメントをいただきまして、ありがとうございます。
西宮から仁川となると結構な距離ですよね。
しかも相当被害が大きかったですもんね。
にもかかわらず、用意周到な避難活動をおとりになられたとは、すばらしいですよぉ〜^^。
☆ いわもっちゃん
いやぁ〜、どーもすいません^^。
☆ お茶屋 さま
そうですよね^^。
☆ vivian さん
あー、涙なくして語れない話ですな。
そうだったんですか…。
発生直後は、被災地の方々は気が張ってますけども、日が経つにつれて一朝一夕には元に戻らない惨状を目の当たりにし続けるとなると、さすがに情緒不安定になる方が老若男女、散見されたものです。
よく、一緒に泣きながら、慰めてあげたのもです。
☆ yanasan さま
あ、逆に親切にされたというのは、きゅんぱちも経験しましたね。
やはり困った時はお互い様なんですよね。
☆ hidechan さま
hidechan さまの行動力には、なかなかかないません。
当時のテレビ映像にもありましたけど、10階建て程度の雑居ビルが、土台からきれいにもげて、ポッキリと倒壊するというシーンを目の当たりにしましたが、あれなんてどう見ても耐震偽装というほかはないと思いましたもんね。
☆ ホタルの館 さん
ありがとうございます。
あ、これ阪急の出版物だったんですか?
大丈夫かな?^^
☆ 響 さん
どうもです。
この走行試験自体がどういうことを試験しているのかはわからないんですけどね。
普段は行き交う風景だけの上下線で同じ方向に電車が走るというのは、逆立ちしても滅多に見られないですもんね^^。
☆ 夢空 さま
ありがとうございます。
防災意識と危機管理能力を高めていくキッカケになりました。
☆ あら!師匠
その節はおつかれさまでございました。
とにかく買い出しに出かけてたどり着いてもなかなか手に入らないという事態が深刻でしたもんねぇ。
そんな中でもプラス思考とは、
さすが、あら!師匠♪
☆ ぽりぽり さま
ありがとうございます^^。
そうなることが本望ではありますが、実際はどうなることやら…。
☆ 井上酒店 さま
この大震災を契機に被災者の方々への精神的サポートを強化しようと言うことにはなったそうなんですが、なかなかうまく行かないもんなんでしょうなぁ。
☆ Azumino_Kaku さま
関西圏のみならず、全国的な経済への影響は計り知れないものがあったということですね。
☆ tonta さま
ほんと、ありがとうございます^^。
☆ トモミ 先生
特に神戸市内は火災が発生してしまったために、凄惨を極めましたね。
先の大戦での空襲跡を思い出したという御老年の方のつぶやきが、忘れられなかったです…。
by hankyu8200 (2009-02-06 22:42)
この地震は大変でした
当方も一ヶ月の間、ガスが止まりましたし
通勤も電車徒歩バス徒歩、、と
知り合いも数人亡くなるという恐ろしい出来事でした
地震直後は
東京で大地震や!こっちまで揺れた、、みたいな感覚で
地元で起こったとは、その後のラジオテレビで愕然としました記憶があります
by piattopiatto (2009-02-06 23:24)
ちょっと重すぎてコメントを躊躇しました。
家内は実家が宝塚阪神間育ちで、御影付近に親戚が多く地震は真っ只中。3人成仏。
葬式の順番4日待ち・・大阪でやっと・・。
昨今では新型インフルエンザが声高に叫ばれ、安心も安全も普段から準備しなくては・・と思う今日この頃です。
6000余の魂が安らかならんことを…合掌!
by OJJ (2009-02-07 21:36)
☆ piattopiatto さま
これはこれは、コメントありがとうございます。
おっしゃるとおりでして、この震災に係る報道姿勢のありようは、地元と首都圏では全く異なるものでしたね。
当時の村山首相の初動対応の遅れがいちばんの足かせなのではなかったかと思います。
この対応が迅速であれば犠牲者を格段に減らすことができたのにと思うと、一種の人災的要素もあったといえるでしょう。
☆ OJJ さま
これはこれは、お辛い記憶をよみがえらせてしまったみたいで、大変申しわけありませんでした。
そうでしたか、ご親戚が3名もですか…。
絶句です(涙)。
合掌…
by hankyu8200 (2009-02-08 00:01)
1.17、辛い出来事でした。
私が通勤に利用していた阪急宝塚線は比較的立ち直りが早かったのですが、梅田ー十三間で並走する神戸線は長らく西宮北口の表示しか出ていませんでした。
勤め帰りに梅田駅に向かうと神戸線の電車からは東京電力、九州電力、東邦ガスなどなどオールジャパンのライフライン関係者の方々が降りてこられてました。それも幻のように感じる時の流れが怖いです。
by サットン (2009-02-08 16:58)
☆ サットン さん
宝塚線は宝塚駅以東は高架化工事が完成した後ということもあって、設備そのものはそうひどい損傷はなかったそうですね。
伊丹線や今津線は悲惨を極めたようですけども。
>オールジャパンのライフライン関係者の方々…
あー、そういう表現をしたくなる気持ち、よくわかりますとも。
とってもカッコ良く見えたでしょ??^^
by hankyu8200 (2009-02-08 19:26)
さきほどはどうも。
コメントから飛んできました。
昔(今から18年ほど前、つまり震災前)、この線路を使って通学していました。
走行シーンがどこかであるかは今でも鮮明に覚えています。
阪急神戸線の本線上にある数少ない速度制限がかかるところと、普段鍵が閉まっていて関係者以外まず渡ることができない踏切があるところですよね。
復旧工事の仕上げとして、このようなことが行われていたんですね。JR西日本も確か電気機関車を使って、複々線で同じようなことをやっていましたね。コレはニュース映像として覚えています。
by ラジオネームFAM (2009-04-03 00:44)
☆ ラジオネームFAM さま
これはこれは、お越し下さってありがとうございます。
線路を敷き直した時には必ずやる走行試験なんでしょうな。
by hankyu8200 (2009-04-03 19:58)